アリスの創作広場

小説家志望のアリスです。作品はフィクションです。実在の個人、団体、法令、法則とは一切関係ありません。

バイオスフィア

 「戻ったわ」

 光恵は仕事を終え、自分のキャビンに戻ると、大きなため息をついた。乗船クルーたちには特別室が与えられ、一般の乗組員や乗客とは立場が異なっている。

 「今日もお疲れ」

 夫の陽介が出迎えた。

 「やはり、キャビンは落ち着くわね」

 「外では気が抜けないからな」

 「頼られるのは悪い気分じゃないけど、こうも問題が続くと考えものね」

 「一時的だろうが、ここ最近はほとんど休めてないよな」

 確かに、起きている時間のほとんどは仕事をしているし、眠っても疲れが取れた気がしない。気のせいだとはわかっていても、いろいろな不安が意識の下から湧いてくるようだった。

 

 バイオスフィア4と呼ばれるこの宇宙船は、恒星間航行を念頭に置いた超長期滞在実験用の船である。

 地球の衛星軌道上では、バイオスフィア3と呼ばれるスペースコロニーの実証実験はが一段落していた。実用コロニーの建設も始まっていた。コロニーの建設とは別に、さらに先を見据えた次世代恒星間航行システムの予備実験として、新たに建造されたのがバイオスフィア4である。

 乗客は六百名。乗組員は三十名。乗組員のうち六名が「クルー」として、乗客および乗員を監督する立場にある。ロボットが乗客の対応にあたるので、乗組員やクルーはロボットでは対応しきれない場合の補助でしかない。異常があったときの対応と、乗客たちのカウンセリングが主な想定だった。

 一番大きな目標は20年かけて冥王星に到着し、基地を建設すること。そして、また20年をかけて地球に戻ること。その間にバイオスフィア3と同様の閉鎖環境における自活実験も当然行う。その他には将来の恒星間有人航行に向けてSHS(Space Hybernation System宇宙冬眠システム)の検証、核融合炉推進システムなどもある。 また、宇宙船の内外でのアクシデントが起きることを前提として、防止法、対処法などの研究もある。

 宇宙船は閉鎖空間とはいえ、都市をまるごと運んでいるようなもので、一般的に想定されるあらゆる事態に対応できることになっている。順調に進めば50年くらいの実験だが、その10倍以上の物資、資材、補給品もあり、船内空間も充分な余裕があった。

 

未定1

 彼女が教頭としてこの高校に来てから一年が過ぎた。それまでは人間行動学の研究所にいたと聞いている。

 教頭と言っても、実際に教壇に立つわけではなく、仕事のほとんどは雑務といっても過言ではない。職員のスケジュール管理、備品の管理、生徒の問題行動の管理などの業務が得意である。

 彼女が赴任してきてからは職員会議がスムーズに進むようになった。以前なら、結論が出るまで長引き、しかも時には職員間に禍根を残すことがあった。苦痛だった会議が、今ではストレスになることはない。

 多方面への配慮が必要なときも、英断を下せる資質もある。この学校に来て一年が過ぎたとはいえ、まだ慣れていない部分も多い。そのせいで、ミスもある。教頭のミスはすべて校長がフォローし、場合によっては責任を取ることになっていて、そのあたりは校長と良いコンビが組めている。まさに二人三脚である。

 

サイコ 01

 先週の衣替えで体も軽くなった。昼過ぎの太陽からは暴力的なまでの日光が降り注ぐが、この時期の昼過ぎは、教室の奥まで日が差すことはない。

 「サイコキネシステレキネシスの違いはわかるか?」
 国語の授業が間もなく終わろうとするときに、太い声で北川先生が聞いた。
 「何それしらない」
 「同じじゃねーの」
 「初めて聞いた」
 みんなは口々に勝手なことを言う。
 「psychoと書くとサイコと読む。プシチョじゃないからな。このプシチョ、じゃなくてサイコは精神とか心理って意味だ。心理学のことをサイコロジーというのもこれだ」
 俺も調べたことがあるし、それくらいは知っている。
 「で、teleは遠いという意味だ。テレフォンは遠くの音、テレビジョンは遠くの映像だな。そんで、運動を表すkineticからキネシスがきてる」
 めずらしくクラスのみんなが話をおとなしく聞いている。
 「サイコキネシスは精神の力で物体を動かす。テレキネシスは離れた物体を動かすってことだな」
 「先生、じゃあ、磁石とか重力とかもテレキネシス?」
 「いや、それは違う」
 「えー、なんで?」
 「俺も知らん。正式な言葉じゃないからな。両方合わせて精神力で離れたものを動かすって意味だ。ま、同じものと思っていい。似非(えせ)科学の代表的なものだが、もし仮にそんな力が実在したらどんなことに活かせるか、それを来週までにレポートにして提出な」
 「えー」 「うわ、めんど」
 一斉に非難の声。
 「文句言うなよ。本当にあるのなら、カワイイ女の子のスカートを片っ端からめくれるんだぞ。すごいじゃないか」
 女子からはイヤらしいとさげすむ声が出たが、男子は目を輝かせているものもいる。単純なものだ。いや、実際はそんなに単純ではないんだけどな。
 「おっと、もう一つ。日本にはサイコキネシスを公式に研究しているところがないんだ。つまり、サイコキネシスをちょいと研究すると、簡単に日本代表、日本一ってことだぞ」
 何か、適当なことを言ってる気がするけど、それって日本じゃ誰も相手にしてくれないってことだよな。

 

 その能力の存在をはっきりと感じたのは中二のときだった。
 強く念じると離れたものを動かすことができる。つまりサイコキネシスだ。

 サイコキネシルは自分でコントロールできる。キッチンのテーブルに座ったまま、離れた冷蔵庫を開け、牛乳を取り出し、テーブルへ引き寄せる。グラスに注ぎ、冷蔵庫に戻し、扉を閉める。
 透明人間がスローモーションでやっているかのようなイメージだ。
 誰もいない場所で自分が意識してサイコキネシスを使う分にはいいが、困ったのは寝ているときだ。夢の中の映像に反応してしまうらしい。そのため、朝起きたときの部屋の中はぐちゃぐちゃ。いつも怒られ、家族からはうとまれていた。高価な電気製品も壊してしまい、完全に家族の厄介者だった。
 サイコキネシスを使わないように努力しようにも、寝ているときはどうにもならない。対策できるとすれば、身の回りに壊れる者は置かない。特にガラスはすぐ割れるので注意だ。それから、小さなものは頑丈な入れ物にしまう。他にも思いつくことは実行し、家具の被害を減らすことはできたが、完全になくすことはできなかった。
 それと、この能力の特徴、いや、ルールと言った方がいいだろう。そのルールを把握するにつれ、暗闇に包まれたような未来に光がさしてきた。ただ、そんなことでは家族との距離を縮められなかった。

JK部 02

 靴を履き替え、校舎を出る。校庭では運動部が練習中だ。スタスタと歩く浅川を先頭に、自転車置き場をスルーし、正門に向かう。 

 

 昔は正門にはカードリーダーがあり、出入りする人を記録していた。今は自動顔認証システムに置き換わり、手ぶらで通過できる。便利になったものだ。そのぶんだけ逆に失うものもあるが、それについて語ると長くなるので、今はやめよう。

 それに、こういう社会になったおかげで、俺の居場所も作りやすくなったわけだし、文句を言うような筋合いではない。

 

 「ところでさ、浅川。山科さんの家ってどこだか知ってるの?」

 「知らないわよ」

 「おいおい」

 「本人がいるんだもの、教えてもらえばいいでしょ」

 「それはそうだけど、歩きなのか、自転車なのか、バスなのかくらいはわからないと困るんだけど」

 「言われてみればそうね」

 「俺は自転車で来てるけど、山科さんは?」

 「近いので歩きです。天気が悪いときはバスを使う時もあります」

 「浅川は歩きだよな」

 「そうよ」

 ということは、自転車は後で取りに来たほうがいいな。

 「残念だったわね。山科さんと二人乗りができなくて」

 「三人乗りなら・・・。いや、やめておく」

 想像したくなかった。

 

 浅川と山科さんが並んで話をし、俺は二人の後をついていく。浅川が質問をして、山科さんがそれに答えている感じだ。いろいろと聞き出してくれているのかもしれない。あるいは、単に話を楽しんでいるだけかもしれないが。

 バス通りを離れ、川沿いの遊歩道を歩く。車の通れない道で、防犯カメラはない。

 後ろから二人を眺めていると、さっき知り合ったばかりとは思えない。もう打ち解けているようだ。女子とは不思議な生き物だ。

 楽しそうに話を続ける浅川もめずらしいし、邪魔をせずにいることにした。

 

 徒歩で通学しているから、近いのかと思ったが、まだ到着する気配がない。川沿いの遊歩道で、民家もまばらだ。15分くらい歩いたところで、聞いてみた。

 「山科さんの家って、思ったより遠いんだね」

 「もうすぐです。半分以上来ました」

 「まだ半分か」

 「運動不足の誰かさんには、この距離はきついのね」

 「すみません、最短距離ならもう着くんですけど、天気がいいので、少し景色の良い道をきちゃいました」

 景色が良いのはいいんだけど、ちょっ遠回りしすぎじゃないですかね、山科さん。

 「そうね、この道を歩くのは気持ちがいいわ」

 「まあ、俺も平気だけどね。ちょっと喉が渇いたなと思ってね」

 「そこに川が流れるじゃないの」

 「まさかと思うが」

 「手っ取り早く水分補給できそうよ」

 「そうですね」

 二人して笑っている。山科さんも浅川の味方か。まあいい。自販機を見かけたら何か買っておこう。

 

 「ここです」

 バス通りに戻ってすぐの場所だった。

 通りに面した六階建ての横長のマンション。外観を見る限りは、新しいマンションで、設備も整っていそうに見える。入口の自動ドアを通ると右に管理室があり、左にはポストが並ぶ。据え置き型の宅配ボックスもある。

 「管理人の人は、今はいないの?」

 「前は、平日の昼ならいましたけど、訪問客の対応やセキュリティは機械になっちゃいました。そこの受話器を上げると、管理会社に繋がります」

 「何かあったらすぐに来てくれるのかしら?」

 「2、3分くらいで来てくれます。セキュリティ会社の待機所が近くにあるみたいです」

 「早いわね。それなら安心ね」

 奥にはもう一つドアがあり、こちらはオートロックだ。マンションの住民は顔認証で開くようになっている。訪問客は備え付けのインターホンで訪問先と話し、ドアを開けてから入ることになる。ドアの近くの「録画中」と書かれた防犯カメラも赤いランプがついて、きちんと作動している。

 

 

大絶滅

 それは中国から始まった。

 中国南部の内陸部にある雲南省地震が頻発するようになった。目立つものでもマグニチュードは5程度であったが、回数が尋常ではなかった。群発地震が収束する気配がないまま、噴火活動が始まった。ミャンマーとの国境に近いあたりだった。

 付近は花崗岩質の古い岩盤であった。しかし、噴火活動は玄武岩質のマグマに由来する、比較的柔らかいマグマが主体であった。ハワイの火山などで見られる穏やかな噴火である。赤い噴水が湧きあがるような穏やかな噴火に見えた。山体崩壊もなく、爆発的噴火も起きない、穏やかな噴火。ほとんど犠牲者を出すこともなく、近隣の住民も避難することができた。

 住民と入れ替わるように、火山学者や地質学者が近くに集まるようになった。この地域では珍しいタイプの噴火でもあり、マグマの噴出が予想外に長く続いたのだ。2年ほどは穏やかな噴火が続いたが、その後、噴火の規模が拡大していった。10年が過ぎても、噴火は衰えずに、すでに東南アジアは、マレーシア、インドネシアを除き、ほぼ溶岩に埋め尽くされてしまった。

 地球深部、「外核」と呼ばれる部分は溶融状態の鉄、ニッケルで成り立っている。地球の自転に伴って流れが生じることで、磁場が生じる。ダイナモ効果である。外殻の外側には鉄より軽い物質、つまり岩石の層があり、マントルと呼ばれる。地球が誕生した46億年前から、放射性物質の働きで地球内部は高温が保たれている。しかし、地球内部の温度分布は均質ではない。部分的に高温となった岩石は非常に長い時間をかけて、ゆっくりと移動する。中には部分的に溶融することもある。地球表面のプレートが沈み込む代わりに、高温のマントルが大量に上昇してくることがあり、プルームと呼ばれる。

 東アジアの深部から大規模なプルームの上昇がはじまっていたのだ。スーパープルームである。地球の歴史では過去にもスーパープルームの上昇で気候変動が起きていた。2億5100万年前に起きた大量絶滅もスーパープルームが原因となった可能性が高い。当時の大量絶滅では90~95%の生物種が絶滅している。古生代末期の大量絶滅と同じことが起きるのだろうか。

 地球規模の影響が出始め、温暖化が加速した。火山ガスに含まれる二酸化炭素や、二酸化硫黄などの温暖化ガスが噴出。酸素濃度も低下し、生態系が崩れ始めた。

 

 22世紀に入ってからは火山活動は収まったが、食料不足と健康被害、疫病の蔓延により、人類も絶滅に瀕していた。海面上昇により、日本でも地形が大きく変わってしまった。ライフラインは壊滅し、国家は体をなさず、通信手段もない。

 日本では1億人以上いた人口が数万程度までに減ってしまった。20名から50名程度の小集団になり、自活するようになった。国家も法律もない世界。誰もが、生き残ることに必死であった。

 

 21世紀最後の年に生まれた直光は長野の諏訪湖の北岸で暮らしており、今は諏訪村と自称している。

 諏訪村から最も近い村でも、10km以上離れており、しかも道は荒れている。交流はほとんどなかく、食糧などをめぐる争いが散発的にある程度だった。友好的な関係を築いた村同士で、緩やかなネットワークがあるのみだった。

 直光が14歳のときに諏訪湖の南西にある伊那地方から移動してきた集団が、諏訪湖南岸に住み始めたため、直光の村は区別のため北諏訪村と呼んだ。移住してきた集団は南諏訪村とした。南諏訪村は男性中心の20名ほどの集団だった。女性は10代から20代の6名だけで、日本語を話した。男性は下は20代から上はかなりの高齢のものまでいた。南諏訪村の男性は、外国語を話す人々が多かった。

 六人の女性たちも大きな荷物を抱えていた。腰を紐ようなものでお互いを繋がれていて、囚人や奴隷を護送しているように見えた。うち五人は十代後半から、二十代くらい。うつむき加減で、憔悴していた。一人、最後尾に繋がれていた十歳くらいの少女だけが、前をしっかりと見ていた。

 100年前と違い、医療施設は使えない。重い病気になると普通は助からないのだ。人口ピラミッドも急激に形を変え、富士山型の三角形になっている。人口ピラミッドで統計を取れるほどの人口がいるわけではない。しかし、子どもの数が多く、高齢ななるほど減っていく形である。出生率も100年前とは比べ物にならない。諏訪村では一人の女性が5人以上の子どもを産む場合が多かった。40年以上生きる女性はまれだった。

 この時代はどこの集団でも女性は大切にされた。特に若い女性は、次の世代を育むという意味で集団にとっては宝であった。南諏訪村の女性の人口構成を知った時は奇妙に感じた。30代以上の女性がいないのはどういうことだろうか。

 さらに奇妙なのは、男女とも10歳以下の小さな子供がいないこと。これは、ここ10年は子供が生まれていない、あるいは生まれても亡くなってしまっているということだ。

 

 

 ◆

 

 南諏訪に村ができて、1週間が経ったころの夜明け前に訪問者があった。

 11歳のメグミだった。メグミは南諏訪村で最年少の女の子だった。転がり込むように俺の家にやって来た。北諏訪村に助けを求めに来たのだ。全身に擦り傷や打棒の跡が見えた。寒さに凍えるリスのように全身を震わせていた。

 水をあげると、一気に飲み干した。落ち着きを取り戻してから、ぽつりぽつりとメグミの置かれている状況を話してくれた。

  メグミはもともと静岡の浜松の村で生まれ、暮らしていた。諏訪村と大差ない暮らしのようだった。今から一年くらい前のある日、海から大勢がやってきて、若い女性たちが攫われたという。メグミもその中の一人だ。他にも3人攫われたらしい。すべて若い女性ばかり。

 居住地を見つけると、メグミを除く女性たちへの乱暴が始まった。昼間も見張りがいて、逃げだすのは難しい。逃亡を試みて、悲惨な目に遭った女性もいた。メグミは逃げ出すチャンスを窺っていたと言うのだ。

 

 ◆

 

 その後の南諏訪村との争いが起こり、お互い仲間を失った。争いに敗れた南諏訪村は甲府方面へと逃走したと聞かされた。全滅させたという噂も聞こえてきたが、本当のことはわからない。三年たったが、奴らの情報は入ってこなかった。

 直光は17歳の春を迎えていた。

 

 

エヴェレットの多世界解釈

エヴェレットの多世界解釈

 「シュレーディンガーの猫」について、耳にしたことがある人もいるだろう。シュレーディンガーオーストリア理論物理学者で、量子力学の研究で有名だ。波動方程式という形で、極微の粒子の振る舞いを説明することに成功している。極微の代表は電子だ。電子には不思議な性質がある。普段は、霧のようにぼんやりとした存在なのに、写真を撮る、つまり位置を確認すると、ランダムの一点に「収縮」するという性質だ。

 密室に一粒の電子を投げ込んだとしよう。ぼんやりと見ていると、部屋の中が霧に包まれている。電子の姿は見当たらない。霧は濃い所もあるし、薄い所もある。写真を撮る。その瞬間、霧が晴れ、部屋の入口からわずか一歩のところの電子が映る。続けて写真を撮ると、何枚撮っても、同じ場所に電子がある。

 別の電子で試してみると、こんどは、部屋の奥に電子が映る。連写しても、電子は部屋の奥にずっとある。電子を交換していくと、ばらばらな場所に映るように見える。ただし、霧が濃かった部分ほど映る確率が高い。霧の濃さが、電子の存在確立を表している。その確率を方程式の形で表現したのが、シュレーディンガー波動方程式

 極微の世界は確率に支配されていることがわかっている。だが、極微の世界と異なり、ある程度の大きさを持つ日常世界は確率に支配されているようには見えない。なぜだろう。ここで、猫を使った思考実験を行った。

 箱の中に猫がいて、箱の外からは中の状態がわからない。50%の確率で猫が死ぬ仕掛けを箱の中に入れる。箱を開けると、猫の生死がわかる。では、箱を開ける前の猫の生死はどうなっているのか。

 あくまでも思考実験なので、猫である必要はない。箱でなくてもよい。死ななくてもよい。条件として必要なのは四つ。まず、初期条件で猫の生死は確定しない状態である(さいころは転がし方で目を操作できる、つまり実験開始前に確率が判明しているので不可)。箱の中の状態は確率で決まる(50%でなくてもよい)。箱の内外で情報のやりとりがない(猫の体温を外部で測ったりしないし、外部から箱を激しく揺さぶったりしない)。最後に、情報の判定法(猫の生死)

 猫がかわいそうなら、代わりに、お菓子の箱でも立てておいて、20%の確率で倒れる仕掛けを施しておくなどでもよい。箱でなくても、ビニール袋でも良い。目を閉じていれば、中は見えない。

 さまざまな考えがあるが、「コペンハーゲン解釈」が物理学者の間では広く受け入れられている。実験後に観測するまでは、猫は生きた状態と、死んだ状態の重ね合わせであると考えるのが妥当。つまり、二枚の透明の板それぞれに、生きた猫、死んだ猫の絵を描き、それを重ねて箱の中に置いてあるような状態。「観測」とはランダムに、透明の板を選ぶこと。選ぶ前は二枚が重なっている。選んだら、一枚に確定し、もう一枚は破棄する。

 極微の世界の振る舞いを説明できる量子力学を日常世界へとつなげる試みだが、問題点がある。「観測」によって状態が一つに収束する速度が、光速を越えてしまうのだ。非常に巨大な猫がいるとしよう。銀河サイズだ。光だと横切るのに十万年くらいかかる。その猫を箱に入れて、すぐそばにいる人間が観測したらどうなるか。観測した瞬間に、猫の状態が収束する。それは、銀河サイズであっても、一瞬で。「観測」という情報が、光速を越えて、銀河サイズまで届くことになる。明らかにどこかに間違いがある。

 また、観測するのが人間でなく、サルなら、ネズミなら、ハエなら、機械ならどうなるのだろう。「観測」という行為は、箱の中に影響を与えない行為と思えるのに、観測することによって、箱の中の可能性をひとつ消してしまうことになる。これはどういうことだろう。

 これら問題点を解消する一つの解釈として、「多世界解釈」がある。50年以上前に、数学者のエヴェレットが提唱したものだ。猫の生死の状態が重なっている状態から、観測によって猫の生死が決まる。それは、二枚の板のうちの一枚を選ぶことになるが、もう一枚も別の世界(あるいは宇宙)として残るというものだ。あり得たかもしれない別の可能性ともいえる。その二つがともにどこかに存在し続けている。たまたま、生きた猫を選んだ観測者は、生きた猫と一緒に居る世界の人間。だが、猫が死んでしまった世界にも、観測者がいる。観測者は「神の視点」で観測することはできない。観測者自身も実験対象の一部を成している。

 この解釈だと、「観測」という情報が光速を越える必要もない。さらに、「ミクロ」の世界の量子力学によるの確率的な振る舞いが、日常生活の「マクロ」な世界も記述できることになる。

 

 多世界解釈量子力学以上に奇妙だ。観測するたびに世界(あるいは宇宙)の数が増えていくことになる。観測ごとに増え続ける。インフレーションだ。

 今、ここにある世界から、他の世界の状態を知ることはできない。情報のやり取りができないので、仕方ない。この多世界解釈を実証するのは困難かもしれない。だが、ありえたかもしれない別の可能性が存在し続けるなって、なんとロマンチックなことだろう。