アリスの創作広場

小説家志望のアリスです。作品はフィクションです。実在の個人、団体、法令、法則とは一切関係ありません。

えくぼ

 ようやく打ち合わせが終わり、亮介は終電間際の電車に飛び乗った。

 車両は汗臭かった。どこかからアルコールのにおいもした。ドアに寄りかかると、すぐに目を閉じた。外の世界をシャットアウトすると楽になる。最近は何かにつけ他人と比べていた。こいつらよりは幸せだ。人生の勝ち組だ。そう信じる根拠をいつも探していた。

 二十代前半で恋愛結婚、子供は二人、五十前には子供も独立して夫婦でのんびり暮らす。亮介はそんな夢をひとつひとつ順調に叶えていたはずだった。

 妻の由香とは友人の紹介で知り合った。えくぼの素敵なひとだった。一年ほど付き合い、結婚した。二十四歳のときだった。ともに仕事があり、会えるのは週末のみ。外食し、街をいっしょにぶらついた。付き合い始めて三か月後にプロポーズ、一年後に結婚をした。

 結婚直後から由香の様子が変わったように感じた。

 結婚前には月に一回くらいではあったが、彼女から求めてくることもあった。それが、結婚後半年は一度も求められることもなく、こちらからの求めも断られた。子供が欲しいということでは二人の意見は一致していて、経済的にも無理はない状態だった。

 半年後、彼女の方から求めがあった。亮介は久しぶりの行為に興奮した。避妊具なしで由香と交わるのは初めてだった。すぐに果てた。今まで溜まっていた思いのすべてを由香の中に注ぎ込んだ。由香が受け入れてくれた。それだけで満足だった。

 由香が妊娠し、無事に女の子が産まれた。七海と名付けた。なかなか子宝に恵まれない夫婦も多い中で、亮介は一度だけの行為から子供がうまれる幸運に驚いていた。会社のみんなにも祝福され、舞い上がってしまった。声には出さないが、やはり俺は勝ち組だったのだと、亮介は確信した。

 由香は出産を機に会社を辞め、実家に戻っていた。亮介はときどき由香の実家を訪れてはいたが、あまり落ち着けず、いつもすぐに帰って来た。出産後も体がつらいらしく、実家から戻ってきたのは七海が二歳になったとき。やっと実感が持てた。家族が三人になった。そう思っていた。

 

 七海の好きなぬいぐるみから煙草の臭いがした。幼稚園の集まりがあったらしいが、腑に落ちない。由香に聞いてみると、 

 「今日は誰か来たの?」

 「幼稚園の集まりがあったの」

 由香が目をそらした。

 「毎週たいへんだな」

 「七海のためだからね。それにいろいろ情報交換になるし」

 由香は、そのまま目を合わせずに淡々と話す。灰色の疑惑が次第に大きくなる。

 「よくうちに集まるのか?」

 「向こうの中村さんのところに集まることもあるわ。他の人のところも聞いてみたけど、家がせまかったりでみんな無理っていうの」

 「そうか」

 「みんなでランチしながら集まるときもあるわ。でも、毎回だと出費がたいへんだっていうお母さんも多くて」

 「なるほどな。無理しないようにな」

 「うん、ありがとう」

 七海は、ぬいぐるみで遊んでいた。えくぼが見えた。

 

 確たる証拠が出てしまった。

 考えすぎだと思ったが、気になって仕事にならない。気が引けたが、盗撮用の小型ビデオカメラを購入してあった。毎週水曜に集まりがあることが多く、由香も火曜は集まりを楽しみしている。

 水曜の朝にカメラをセットして仕事に向かった。外出中は操作ができない。カメラは私の出勤ごのすべてを記録していた。メモリーがなくなるまで。その夜、由香が寝た後に祈るような気持ちで、カメラをタブレットにつなぎ、事実を確認する。

 ◇

 亮介は直ちに動くことにした。男の正体を探し、連絡を取った。行動は冷静だった。七海は由香と男の間にできた子だった。男には妻と娘がいた。娘は七海ににていたが、えくぼはなかった。男は不義をみとめ、金での解決を図った。もちろん、二度と由香に近づかないという誓約書も取った。

 離婚にむけての準備を進め、七海が私の元に残るように手配した。七海は私になついていた。男がいなくなった由香は、次第に元気がなくなり、体重もかなり減ったようだ。しばらくは由香には話をせずに、水面下で準備を進めた。半年ほどしてから、不義の証拠をつきつけて、離婚をした。

 亮介は七海と一緒に小さな部屋に引っ越した。仕事をしながら小さい女の子を育てるのは難しい。小学校に上がるのを機に、亮介は会社をやめ、自宅でコンサルティング業を始めた。

  ◇

 「高校卒業おめでとう、七海」

 「ありがとう、パパ」 

 亮介は七海のお腹をさする。冬服で目立たないが、七海のお腹には新たな命が宿っている。女の子だろうか。えくぼはないほうがいい。